タイ式マッサージ沙羅/名古屋 2008/12/03 信じる心 こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。 ある時、新聞に掲載されていた短編が気になった。何故か?よく分からないけれど、惹かれるままにその時に限って読んだ。太宰治 「走れメロス」。 今更、改めて読むまでもなく、内容は知っています。さっと読み終えて、数日後に、この短編集を購入した。私は、なぜ、この話を知っているのだろう?と、それさえも思い出せないくらい、遠い昔のことなのでしょう。(多分、皆様もよくご存じだと思い、以下書きました。) 今、読み返せば何か違うものを見つける事が出来るのではないかと、導かれるように再度、手にとったのです。「信じる心」「信じたい心」 人を信用できない王様、メロスは、戻れば死が待っている。メロスが戻らなければ友は死ぬ。 何故?王様は、人を信用でき無くなってしまったのでしょう。王とは、(トップにいる人)常に孤独との戦いの中で生き抜いているのだと思うけれど、信じる心がなければ何物にも勝てないでしょう。権力とは孤独なものと思います。そういう立場が疑心を生むのでしょうか?メロスと友にも疑心が芽生えます。当たり前に人間とは、そういうものだと思います。信じる心は、湧き出たり、消えたり・・・湧き出たり、消えたり・・・。 自分が、メロスになった気持で考えると、私も走ります。命を失う為に走ります。多分、それは、親友の為ではなく自分の為に走るのだと思います。自分がまいた種ですからその責任の為に走ります。ひとつ言えること、私が邪悪に対して敏感であったとしても、むやみやたらに王様には逆らいません。(笑い) 「信じる心」 大事な心です。人は一人では生きていけないと思うからです。今の世の中は、色々な事件も起きるし、おれおれ詐欺のように騙し、騙されてしまう人もいる。人を信じたらバカを見る事も多いかも知れない。それでも、私は信じる心で毎日を送りたいと思うし、信じられる心を人から貰いたいと思うのです。読み返し惹かれたのは、今の自分に何か意味があったからかもしれません。 PR