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タイ式マッサージ沙羅 /愛知県名古屋市

名古屋市昭和区山手通にあるタイ古式マッサージサロンです。地下鉄名城線・鶴舞線の八事駅直ぐにあります。☎052-833-5598 

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頑張る

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

北京パラリンピックのニュースを見る度に思う。すごい!人間ってすごい!一体、どこまでできるの?って。 障害に至る背景は、お1人、お1人にそれぞれの事情があるのだろうが,そんな精神的なものを克服しつつ自分を激しく鍛える。そして、際限のない、スポーツの中で生かしメダルと言う目標に向かう。

人が、何かに向かっている時の美しさは、驚くばかりです。それは、その人の周りにも影響を与えていくと思います。スポーツだけでなく、どんな事にでもです。生きているエネルギーがほとばしるのです。自分もそのように色々な何かに向って生きていきたい!くじける事無く周りにエネルギーを撒き散らしたい!な~んて、パラリンピックから刺激をもらっています。

喫茶店で見た、読売新聞の政府広報に自殺予防週間と言う記事が載っていました。こんな週間を作るのもどうか?と思いましたが、私たちの周りを気にかけるっきかけになるのでしょう。

パラリンピックで活躍する記事の横に自殺予防週間の記事、感じるものがあり今日の題材に使わせてもらいました。



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更新間にあわず

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

ブログ忍者回線が,混雑していたため昨夜の更新が間に合いませんでした。

今、沙羅ではご来店の皆様にトムヤンラーメンプレゼント中です。女性の方にはオイルマッサージ割引券もお渡ししてます。期限は今月いっぱいです。

トムヤンラーメンは、辛いけれど美味しい!!
       エビ味・ポーク味を どうぞ。

殆どお酒など飲まない私ですが最近、家に帰りワインを飲むようになりました。飲みたい!のではなくそこにあるから飲むみたいな、事です。小さなグラスに少しなんですが、これが強烈に効くんです。
多分、この強烈に効く感覚にハマっているようです。お酒も色々なはまり方がありますね。よく、酒を飲んで憂さを晴らすとか、嫌なことを飲んで忘れるとか、楽しくて嬉しくて飲むとか、単純に美味しくて美味しくて飲むとか、食事と同じような感覚で飲むとか・・・・・。

私の強烈に効く感覚は、ワインの美味しさを、だ知りません。只、意味もなくその感覚に浸りたいのかも・・・・。疲れた身体にワイン(お酒は何でも)ですので一人楽しんだ後は、強烈な睡魔に襲われてしまいます。そのお陰でブログ更新に慌てふためいている今日この頃です。
 


生けるもの

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

走る車と一緒に一匹のとんぼが飛んでいます。「あっ!とんぼ」小さく呟いてしまうほど、私の周りでは、季節にあまり見ることができなりました。

小さな家の庭に早春にはうぐいすの鳴き声が聞こえ春には、モンシロ蝶が、アゲハ蝶が飛び、雨上がりの草木の間に大きなでんでん虫が・・・。 夏には、ここを盛りに蝉がなき、足元を見ればとかげが走りバッタが飛ぶ。
そして、秋の夜にはリーりーりと虫の大合唱が聞こえます。春夏秋冬、私たちは、沢山の生き物と出会っています。
ところが、こんな小さな庭に起きる生き物達との出会いが、いつの間にか無くなってしまったり少なくなってきている変化を私は、肌身で感じるのです。それだからこそ、ふっと出会う生けるもの達に出会うと愛おしくなってしまいます。

我が家の小さな庭で出会う出会いがこれ以上なくなっていかない事を願っています。大きく大きく言えば、地球上の出会いです。

癒される

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

何かで癒されたい、そんな時ありませんか?
私は、13年飼っている愛猫に日々癒されています。その歩く姿を見ては可愛い~。カリカリ食べている姿をみて可愛い~。丸まって寝ている姿をみては可愛い~。私を手でつつくその仕草をみて可愛い~。何をやっても可愛いのである。
そして、愛猫を撫で撫でしながら、1人ぶつぶつ 呟くのです。例えば、お母さんは、だめだね~とか。お母さんは、もっとしっかりしなくちゃね~とか、ねねちゃん、(愛猫の名前)助けて~とか・・・・。愛猫にとって私はお母さんのはずなんだけれどやっていることは、物言わぬ彼女に頼っているのです。

日々、時どき、癒しはたくさんあると思うけれど、タイ式マッサージで心身共に癒されることは極上のひと時に違いないと思います。でも、私の中では、お母さんになって愛猫に癒されることも、小さな極上の時のひとつになっているのです。


最後の一枚の葉

こんばんは、名古屋のタイ式マサージ沙羅です。

今日、ある、お客様と最後の一枚の葉の物語について話をしました。何故?その話が出たのかは、経緯を忘れてしまいました。私の記憶の中で、この話は、病気でベッドに横になっている子が、窓の外の蔦の葉が散っていくのを数えながら最後の一枚が散った時に自分の命も消えていくのだと思っていたところ、最後の葉が散らなかった。それは、壁に描かれた絵だった。と言う話です。これしか記憶に無いので、前後して物語があると思っていた私は、家に帰ってネット上に公開されている作品を探して読んでみました。
オー・ヘンリー 著 「最後の一枚の葉」
うら覚えの物語の内容から、こんな大人になって再度、本編を読み返すなんて思ってもいませんでした。壁に絵を描いた画家が、雨に打たれながら描いた為に肺炎になって、たった2日で死んでしまったなんて忘れていました。

人間には運命と言う避けがたいモノがあるかもわからない。でも、自身の気持の持ち方で大きく物事は変わっていくのですね。死ぬなんて思っていなかったであろう画家は最後の絵を描くことによって死んでしまった。
この物語の彼女の場合は、生きる力を蔦の葉に託してしまった。自分で生きる力を捨ててしまった。
木の葉が落ちたら自分の命も消えると思っていた彼女は、本当の葉は落ちてしまったのに描かれた葉によって生きていく。

 この、物語の訴えるものと違うかも知れないが、悩み悩める辛い苦しい苦しむ、大小あるけれど、どんな時にも自分の負の気に負けないことだと思うし、私達には、、何時だって、蔦の葉を描いた画家のように、気付かないうちに助けてくれる何かがあるに違いないのです。(人だったり・物だったり・動物であったり・書物であったり・・・ets) 

昔の記憶から今日は、生きることを少しだけ考えさせられました。