忍者ブログ

タイ式マッサージ沙羅 /愛知県名古屋市

名古屋市昭和区山手通にあるタイ古式マッサージサロンです。地下鉄名城線・鶴舞線の八事駅直ぐにあります。☎052-833-5598 

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


生けるもの

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

走る車と一緒に一匹のとんぼが飛んでいます。「あっ!とんぼ」小さく呟いてしまうほど、私の周りでは、季節にあまり見ることができなりました。

小さな家の庭に早春にはうぐいすの鳴き声が聞こえ春には、モンシロ蝶が、アゲハ蝶が飛び、雨上がりの草木の間に大きなでんでん虫が・・・。 夏には、ここを盛りに蝉がなき、足元を見ればとかげが走りバッタが飛ぶ。
そして、秋の夜にはリーりーりと虫の大合唱が聞こえます。春夏秋冬、私たちは、沢山の生き物と出会っています。
ところが、こんな小さな庭に起きる生き物達との出会いが、いつの間にか無くなってしまったり少なくなってきている変化を私は、肌身で感じるのです。それだからこそ、ふっと出会う生けるもの達に出会うと愛おしくなってしまいます。

我が家の小さな庭で出会う出会いがこれ以上なくなっていかない事を願っています。大きく大きく言えば、地球上の出会いです。
PR

癒される

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

何かで癒されたい、そんな時ありませんか?
私は、13年飼っている愛猫に日々癒されています。その歩く姿を見ては可愛い~。カリカリ食べている姿をみて可愛い~。丸まって寝ている姿をみては可愛い~。私を手でつつくその仕草をみて可愛い~。何をやっても可愛いのである。
そして、愛猫を撫で撫でしながら、1人ぶつぶつ 呟くのです。例えば、お母さんは、だめだね~とか。お母さんは、もっとしっかりしなくちゃね~とか、ねねちゃん、(愛猫の名前)助けて~とか・・・・。愛猫にとって私はお母さんのはずなんだけれどやっていることは、物言わぬ彼女に頼っているのです。

日々、時どき、癒しはたくさんあると思うけれど、タイ式マッサージで心身共に癒されることは極上のひと時に違いないと思います。でも、私の中では、お母さんになって愛猫に癒されることも、小さな極上の時のひとつになっているのです。


最後の一枚の葉

こんばんは、名古屋のタイ式マサージ沙羅です。

今日、ある、お客様と最後の一枚の葉の物語について話をしました。何故?その話が出たのかは、経緯を忘れてしまいました。私の記憶の中で、この話は、病気でベッドに横になっている子が、窓の外の蔦の葉が散っていくのを数えながら最後の一枚が散った時に自分の命も消えていくのだと思っていたところ、最後の葉が散らなかった。それは、壁に描かれた絵だった。と言う話です。これしか記憶に無いので、前後して物語があると思っていた私は、家に帰ってネット上に公開されている作品を探して読んでみました。
オー・ヘンリー 著 「最後の一枚の葉」
うら覚えの物語の内容から、こんな大人になって再度、本編を読み返すなんて思ってもいませんでした。壁に絵を描いた画家が、雨に打たれながら描いた為に肺炎になって、たった2日で死んでしまったなんて忘れていました。

人間には運命と言う避けがたいモノがあるかもわからない。でも、自身の気持の持ち方で大きく物事は変わっていくのですね。死ぬなんて思っていなかったであろう画家は最後の絵を描くことによって死んでしまった。
この物語の彼女の場合は、生きる力を蔦の葉に託してしまった。自分で生きる力を捨ててしまった。
木の葉が落ちたら自分の命も消えると思っていた彼女は、本当の葉は落ちてしまったのに描かれた葉によって生きていく。

 この、物語の訴えるものと違うかも知れないが、悩み悩める辛い苦しい苦しむ、大小あるけれど、どんな時にも自分の負の気に負けないことだと思うし、私達には、、何時だって、蔦の葉を描いた画家のように、気付かないうちに助けてくれる何かがあるに違いないのです。(人だったり・物だったり・動物であったり・書物であったり・・・ets) 

昔の記憶から今日は、生きることを少しだけ考えさせられました。

美容院

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

殆どの美容院は、シャンプーの後にマッサージサービスがあります。

「簡単にマッサージさせて頂きま~す。」の声と同時に、まず、頭を両手5本の指でもみもみします。次に肩を叩きます。パンパンパンと音をたてて肩から背中へ。背中から方へ叩いて肩をもみもにし、もう一度肩から背中を叩いて終わります。その間2~3分でしょうか。

それぞれでマッサージ内容や時などに多少の違いはあると思いますが、このあっという間が、美容院では無くてはならないものになっています。これが、自分にあって上手かったら、すご~く得した気分になりませんか?私は、このマッサージが楽しみです。でも、正直に言って未だに得した気分に出会った事がありません。(トータル的には満足してます。)

なぜ?だろう?と考えてみました。練習が足りないのかな~?その施術を的確にアドバイすする人がいないからかな~?スタッフさんのマッサージサービスに対するモチベーションなのかな~?椅子が高くてやりにくいのかな~?などなど・・・。

いずれにしても、美容技術以外のサービスではあるけれど全てを含めた技術の提供であると考えることで、工夫ができるかもと思いました。
美容院様、マッサージ・ワンディレッスンなど如何でしょう。 (こんなオチですみませんです~。)

半眠半覚

こんばんは、名古屋のタイ式マッサージ沙羅です。

たくさんの方がマッサージの最中に眠ってしまったという経験があると思います。
今日、一人のお客様に聞いてみました。眠っている間にセラピストの手を感じますか?夜、ベッドに入って眠る時と何が違いますか?
最初の答えは、身体が疲れきって眠くて眠くて仕方無い時は、眠いが優先するのでマッサージを受けている事は、全くわからないとの事。そうでない時は、目覚めたり眠ったり、夢うつつでよく言われる半眠半覚状態のようです。

後の答えは、一緒かも?でも、マッサージを受けている時は、眠って起きれば身体がほぐれているもんね。と言われました。私は、意地悪く「では、セラピストの思い入れや、工夫や頑張りが分かって貰えないですね」と再度聞いてみたら、眠っていてもそれは、感じている思うといわれました。
意地悪な質問をしましたが、それは、セラピスト自身のことであり、お客様にわかって貰う為に施術している訳ではないとと言うことを申し上げておきます。

では、眠っている時にセラピストが手を離したらどうなりますか?「状況の変化を感じて目が覚めるかも?」
でもな~、疲れてマッサージチェアーに揉まれていても眠ってしまうし終わってもチェアーにかけたまま続けて眠ってしまうからな~と言っていました。それを思うと、手が離れても眠り続けるかも知れないと言われました。

私の経験からマッサージを受けながら眠ってしまう時、セラピストさんの手は消えてしまいます。何もない無の中の眠りのような気がします。抽象的で、なんじゃ!それ?と言われるかもですが、ふっと、目覚めた時にとても心地よく気持ちいいのです。その、眠りこそ半眠半覚なのではないでしょうか?それは、セラピストの手によって生まれるものだと思っています。今日、問答にお付合い頂いたお客様の眠りも多分、こんな無の中に漂う眠りだったのではないでしょうか?